強さとは

「強い」とはどういうことだろう。それはもちろん、攻撃力と防御力を兼ね備えていることだろう。相手を負かすことと自分が負けないこと。

それでは、「強い人」とはどういう人だろう。相手を負かす人と負けない人であろうか。単純に当てはめると何か違う、、もっと複雑な気もする。相手を負かさずとも場を収められる人、負けても相手を讃え前向きに捉えられる人ではないだろうか。

こう定義してみると、自分がいかに弱い人間なのかが身に染みて分かる。「強い」になるのではなく「強い人」になりたいものだ。

生き方のススメ

「人は幸せになるために生まれてくるんだ」町を歩けば一度は耳にするような言葉。ありきたりな言葉。

ピンとこない。もしそうだとしたら不幸な人間は生まれてきた目的を達成できていないということか。なぜ我々はそんな条件付きで産み落とされたことになっているのか。非常に重苦しい。

むしろ、逆だと思う。なんの自我もないまま産み落とされ、ものの100年で消えゆく我々には、「なんか知らんけど生まれてきちゃったし、どうせなら幸せになろっ」くらいのスタンスが合っているのではないか。(まさに I was born. だ。)

 

前置が長くなった。スタンスがどうであれ、「幸せを目指すこと」に特段間違いはないようだ。では、目指してみよう。

幸せには複数の要素があると思うが、今回は消極的にも「ストレスをなくす」ところに着手したい。特に、人間関係だ。

私の大好きな著「嫌われる勇気」には、人の悩みのほぼ全ては人間関係から生じると書かれている。私もそれに同意である。異なる価値観をもつ人間が相対するからこそ、そこに摩擦が生じる。

だが、摩擦や衝突はどうしようもないものだ。避けられない。全ての人間が同じ価値観を抱くなんて不可能だ。

そもそも、私たちは人間関係のどこにストレスを感じるのだろうか。それは、自分の言動に対し相手がどう思うか、どう受け取るかが不安だからではないだろうか。

私が転換点にしたいのは、その点である。要は、「不確定すぎて分かるはずもない事に延々と悩まされているのではないか」もっというと、「相手の考えること全て理解できるなんて思いあがっていないか」ということだ。(もちろん、他人を慮ることは大事だ。ただ行き過ぎて苦しくなった場合に適応となる。)

 

さあ、何かを変えねばならない。自分が変えられるのは、、自分の焦点、意識のベクトルくらいか。

答えを先に言う。焦点を変えるとは、「自分の意識は自分の言動に留めろ」ということだ。それはつまり、「自分の言動に対し相手がどう反応するかは相手に任せておけ」ともいえる。それはもはや相手の領域、相手のタスクなのだ。きっとこれまでのあなたは、コミュニケーションにおける自分のタスクの範囲を超えて、相手の反応にまで神経を尖らせていたわけだが、それはあなたの仕事ではない。ぜひ、背負っていた大きな大きな荷物を捨て、自由にふるまってほしい。そこにあなたを妬む人はいないだろう。いたとして、それは単なる「自由なあなた」を良く思わない人でしかない。もちろん、あなたの考えるべきタスクの外の話だ。

 

「人の気持ちになって考えろと言われてはきたけど、想像を超えて心は理解しがたいもの」__Mr.Children「口がすべって」より。

初ブログ

初めまして。わたくし、現役で医大生をやっております。

昔から自分の文章を読んでもらうのが好きで、誰に見せるでもない文章をパソコンでパチパチと打っておりましたが、重い腰を上げ、人様に見ていただける形で文章を書いてみようと思いいたりました。心なしかタイプ音も大きく聞こえます。

日頃ぼーっと考えたり疑問に思ったりしたことを皆さんと共に突き詰めていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 

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